日本女子大学校附属高等女学校 45回生西組の記録

『百合樹の蔭に過ぎた日』を発行して

山田佐和子


 1941〜45(昭和16〜20)年は太平洋戦争の開始から終焉まで,いわゆる15年戦争期間でもとくに異常な4年間であった

といってよいだろう。まさにその時期に入学し,卒業した1928(昭和3)年生まれの,逝去された友も含めた52人の級友たち

の記録は,完成までに3年の歳月を要した。ドキュメントであれば虚構が許されないだけに,追跡して検証するためのパワーや

時間が必要だったのである。資金は全員が持ち寄り,数人の協力者をえて始められた。

 当時の建物や行事の写真,個々が大切に残してきた写真・教科書・日記・手紙などの資料が集められた。「I 記憶の中から」

「II 恩師を思う」「III 西組時代を語る」「IV 目白台周辺」ではここに住みつづけた筆者によって,町並みの変貌や

雰囲気が記された。「V 勤労動員時代」では当時の日記と友に送った7通の手紙を収録,また動員先で9か月をともに過ごした

他校の生徒たちと50年めの再会で当時が語られた。「VI 資料戦時下の中等教育」では『日本近代教育百年史』と『学徒動員・

学徒出陣一制度と背景一』より抜粋。「VII 日本女子大関係資料」では昭和l6年に全国に結成された学校報国団の附属高女に

おける成立と経過・団則と行事日誌。時局随感。また敗戦直前の何日間かを構内の建物に抑留されていたユダヤ系音楽家たちに

ついて記した。文中の「カリキュラム」「キャンパス」など6・3・3制とともに使われるようになった用語を「学科課程」

「構内」という戦前のものに言い換えることもあった。『きけわだつみの声』をはじめとする反戦もの,勤労動員下の体験,

空襲の体験などが図書館の棚で比較的手にする機会があるのに反して,戦時下の生活を含めてその学園生活を客観的に記録した

ものは意外に少ないことから,これを手にした人たちからは,さまざまな反応があった。新入生にとって私たちはすでに祖父母の

世代であろう。思春期から青春前期にかけての戦争体験に「もう思い出したくない,語りたくない」というアレルギーがある

のは事実である。しかしその体験は封印すべきではなかったと思う。「あのような戦争にどうして反対しなかったのですか?」

というきわめて率直な若い人たちの疑問に時として後ろめたさを感じることがある。「なぜ反対しなかったか?」という重い

テーマを私たちとも共有し,読み解くために,何冊の図書が必要であろうか。それにしてもA5版280ページの本が完成した

ときの級友たちの歓び,またある友からの今年の賀状に書き添えられた「自分が生きてきた証し,存在していた事実が書き留め

られた安堵がありました」とあるのを読み,私の営為は報われたのを感じたのだった。(1948年文科国語科卒業)

 ご希望の方はTEL03−3972−4843,FAX03−3955−2944 山田佐和子まで。1997年5月25日発行。

 頒価:2500円(送料含)。図書館所蔵(目白・西生田):請求記号376.4−Nih