『平家物語』諸伝本の展示に寄せて

麻原美子


 中古文学関係の展示に引き続いて,中世文学関係の展示をするようにとの図書館からのご依頼を受け,私の在職中にはもう

こうした機会はないであろうと思って,専門とする分野の『平家物語』関係書に絞らせていただいたことをご了承いただきた

いと思います。

 いうまでもなく『平家物語』は,古典文学の中でも『源氏物語』と並んで重視される作品ですが,作品の原形も作者(編者)

も成立も不明で,どのような過程を経て語り物芸となったのかもわからないという,謎の固まりのような作品といえましょう。

今回の展示はそうした『平家物語』を,伝本から理解していただこうというのが展示の目的であります。伝本の形態は即その

時代の享受の形でもあります。今日重要な古写本は複製本という形で提供されていますが,その複製本を三点ほど出しました。

一つは応安四年(1371)に平家琵琶中興の祖と謳われる覚一検校制定の覚一本の一種,高野本(東大国語研究室本)で,

これは新日本古典大系及び日本古典文学全集の『平家物語』の底本になった伝本であり,今日最も本文が知られているもの

です。同じく鎌倉本(彰考館蔵)は,写しは享禄年間ですが,本文の成立は覚一本と相前後するとみられています。次に真字

本として熱田本を出しました。これは覚一本系統の本文ですが,真字本はこれ以外に源平闘諍録,四部合戦状本があり,この

二種は覚一本以前の本文流動期の古態を示すものとして重視されています。長門本の複製は赤間神宮蔵本で,終戦の直前の

火災で大半が焼失し焼残った部分が複製されたわけです。焼失以前は国宝の指定を受けていました。二十巻編成の大部なもの

です。『平家物語』伝本を内容から分類すると,頼朝挙兵関係記事や各種の説話を大量に持つ広本と覚一本のようなそれを持た

ない十二巻の略本とに分類されます。広本とされる伝本はこの長門本の他に四十八巻の源平盛衰記,六巻編成の延慶本とあり,

今日研究の焦点はこれらの広本に向けられています。さて写本に『平家正節』という江戸時代の荻野検校制定の平家琵琶演奏

用の台本で,曲節博士入り伝本を出しました。『平家物語』は平家琵琶として語られ,室町時代には最盛期でしたが,一方,

八坂の二流派のうち一方流のみが江戸時代を通して栄え,今日まで伝承されてきました。次に版本ですが,江戸時代最も数多く

出版された古典は『平家物語』であるともいわれる程に各種の版本があり,今回は十三行絵入り整版本の明暦二年版(1656)

と万治二年版(1659)を出しました。本文は一方流で流布本と称されるものです。他に『平家物語図會』『源平盛衰記図會』

を二点出しました。『平家物語』を絵で楽しもうという享受のあり方を物語るものです。最後に江戸期に流行した評判物の

『平家物語評判秘伝抄』を添えました。儒教思想によって『平家物語』を論評したものです。図會と評判物は今日殆ど研究され

ていません。関心を持つ方は是非研究してみてください。(日本文学科教授)