明治を読む (畠澤 郎)


先般,「明治ニュース事典」(毎日コミュニケーションズ発行全8巻)を入れていただいた。先

進国としてのわが国の歴史を遡ると,最も大きな変革期は明治時代であり,そして,この時期に形

づくられた政治,経済,文化等は近代日本の骨格として現在につながっているといえよう。本ニュー

ス事典は,日本の日刊紙として最も古い歴史をもつ「東京日日新聞」(現在の毎日新聞の前身)を

基礎資料としているものの,日刊紙発行以前の週刊的な諸新聞,日誌類,また,東京日日新聞以外

の有力日刊紙からも幅広く記事を収集している画期的なものである。

 幕末から維新の頃,欧州各国は既に帝国主義の段階に入っていた訳であるが,明治時代は全期を

通じてそれまでの300年にわたる長い期間の欧米とのギャップを埋めるために,いわゆる「富国強

兵」に国をあげて邁進していたのであった。本事典の解説によれぱ,新聞が最初のブームを迎える

のは慶応4年(明治元年)の戊辰戦争のさなかであった。しかし,その後新政府は,官許のない新

聞の発行を禁止し,また,きびしい新聞取締りによって多くのジャーナリストが弾圧されたとある。

このように黎明期は廃刊に追い込まれたり,新聞名を改題したりしながらも,新聞は維新後のわが国

が近代国家に生まれ変わっていく姿を伝え続けていたのである。

 本ニュース事典をめくってみると,歴史書で見る近代史とは趣きの違う角度から明治の世相が浮き

ぼりにされてくる。索引は,五十音の他に,分類,年次で構成されており,検索しやすい。ここで,

一般庶民にはあまり関わりがなかったであろうが,文明開花の象徴といわれた「鹿鳴館」についての

内容の一部を第3巻(明治16〜20年)から見てみよう。
清雅鮮麗にして壮観,煉瓦造りの二階建て〔明治16年11月30日時事〕
 鹿鳴館 一昨日開館式を行いたる内山下町の鹿鳴館は,明治十四年の始め頃より,外務省の監督

にて建築に着手し,このほどようやく落成したり。総建坪四百余坪にして,二階造りの煉瓦家なり。

庭廻りなどもいと手広く清雅鮮麗愛すべし。一一略一一正面の楼上に踏舞室あり,その左右に客間

あり,楼下の東側に食堂あり,楼下の西側北の極端に球突部屋あり。その他寝室,応接所,湯殿等

を合わせ,部屋の数すべて四十余あり。館内の装飾美を尽し,工夫を尽し,中し分なし。建築の費

用は最初十万円位の見込みなりしが,追々に増して落成までには十四万円余に上りたるよし。(略)

バイオリン演奏会に満場魅了〔明治19年8月12日東京日日〕
 鹿鳴館の奏楽 有名なるレメンニー氏は,一昨十日の夜を以って,その絶技の胡弓(バイオリン)

を鹿鳴館の楼上にて奏したり。同夜は午後七時三十分を以って奏楽を始めたり。炎暑の候なれども

晴天と云い,殊に同夜は涼風も爽快なりければ,聴衆の多き三百余人に達し,席上また余地なきに

至れり。ただし外国人の多かりし割には日本人の少なかりしは,未だ洋楽の耳に適するに至らざる

が故なるべし。第一席はリュクストーン氏の洋琴(ピアノ)の奏楽にて,その妙なる,実に聴衆の

感嘆を博したり。氏は未だ壮年の人と見受けたるが,その技芸の超越なるはひとしおなりき。右畢

りてレメンニー氏は胡弓を携えて出席し,拍手喝采の中に会釈したり。その人は中年を越えたる年

輩にて,頭は半禿げ眼光鋭くして,一見してその技芸の達人たる容貌を備えたり。一一略一一

 このように,当時の記者の目を通した生生しい記事を読むことができる。


(図書館運営委員・教育学科助教授)