困った話
青山吉信
私が図書館の責任者だったのは1982年〜87年,10年あまり前である。それまでは単なる一利用者にすぎず,
館員の人たち随分よくやってくださると思っていた。まさか館長の重責がまわってこようとは思いもしなかった。
そのうえ前館長が碩学福田陸太郎先生,図書館については何も知らぬ私につとまるか不安だし,実際に何もでき
なかった。
心配のタネはつきない。当時の館員は24名。館員の高木さんが,「48の瞳です」とうまいことを言ったが,
うち男性は事務主任の山口武義君ただ1人。こうした女性天国でやってゆけるか不安だった。その頼みの綱の
山口君が,私の就任直後10日もたたぬうちに入院,半年後鬼籍に入ってしまった。館長は主任が不在だと何も
できぬ。途方にくれていた私を,高木さん,初山さんなどのヴェテランたち,また激職を承知で主任をひきうけ
てくれた上村さんなどに,手とり足とり助けてもらった。
困った話ばかりだが,ついでにもう一つ。館員が「パピルス会」という会をつくっていた。勤務の息ぬきに観劇や
御馳走を楽しむ自前の親睦団体。私も加入させられ,おかげでおいしい洋食を食べたり,「蜷川マクベス」を観たり
楽しかった。ある年の暮,幹事がはとバスで中華料理のあと東京見物というプランをたてた。まわってきたプログラム
を見て吃驚仰天。一番終りに浅草でストリップ見物とあるではないか!30人近い妙齢の女性の先頭に立ってスト
リップ見物とは!今からすれば,これも唯一男性への思いやりだったかとも思うのだが,その時はそんなことを考
える余裕もなく,悩みに悩んだ末,意を決して,中華料理のあと,たった1人でバスを降り,「喰い逃げ」「敵前
逃亡」した有様。あとにもさきにも私が敵前逃亡したのは,これがただの一度である。(第6代図書館長)