東アジアの語り部「歴代宝案」

西村圭子


 琉球王朝は本土と民俗文化を共有しつつ,中国大陸の政治・経済・文化の影響を強く受けて,東・南シナ海域に

発展した。14世紀明王朝の成立とともに,太祖洪武帝は冊封体制を強化,琉球を「招諭」し,琉球中山王察度は

これを受けて1372年朝貢した。その後,山南・山北二王家も続く。1429年第一尚氏王朝成立以来,使節は福州

の「福建市舶提挙司」を窓口に朝貢交易を行い,同時に日本,朝鮮および南海のシャム,安南,ジャワ,パレンバン,

マラッカ,スマトラ,スンダ,パタニ八王国との中継貿易を行った。

 琉球正史「中山世鑑」「中山世譜」には,1392年洪武帝から福建省の三十六姓の人々が,久米村(那覇港に

近い久米地区)に派遣されたと伝えている。実際には福建省等からの移住者は,明皇帝譲与のジャンク船船員として,

また公文書の起草・翻訳・通事に携わり,次第に王朝の外交政策に関わったものである。久米村の子弟は,琉球官生

制度(1392〜1868年)により,北京・南京の国子監(最高学府)に留学し,のちに琉球の国政・文教の担い手と

なる。1470年第二尚氏王朝が成立し,1697年久米村惣役の-蔡鐸らは,村内の天妃宮保管の外交文書写「旧案」の

再編集を命ぜられて,第一王朝に始まる「歴代宝案」が作成された。その第一集は皇帝の「詔勅」,進貢・冊封を

所管する「礼部咨文(公文書)」,一般文書の窓口「福建布政使司等咨」,琉球王から皇帝への「表奏」,礼部宛の

「琉球国王咨」,琉球使節への中国国内通行証明「符文」,派遣船の渡航証明「執照」,冊封使記録の「使琉球録」

等の項目別に収録された。第二集200冊は,暦年に編集,同様に第三集は13冊,その他別集4冊,目録4冊合計270冊

からなる。この一部を王府に,一部を天妃宮に保管した。王府分は明治の廃藩置県後内務省に移管されたが関東大震災

で焼失,天妃宮分は密かに久米村の旧家に保管されたが,1931年偶然発見されて沖縄県立図書館に移され,太平洋

戦争で焼失した。原本は失われたが幸いに鎌倉芳太郎本(県立芸術大学附属図書館蔵),東恩納文庫本(県立図書館蔵)

の影印本があり,また県立図書館の写本(那覇市立図書館蔵),当時台北帝国大学の小葉田淳助教授による写本(台湾

大学附属図書館蔵)や東大史料編纂所写本等が原本の一部を補っている。

 現在,「歴代宝案」245冊の再刊が1989年(平成元)から2008年までを目途に計画,影印本・台湾本を中心に校訂

される。また北京の中国第一歴史档案館,台北の故宮博物院所蔵の「宮中档案」,中国の地方档案館等の原文書との

校合も計画されている。このように,次々と語り継がれた貴重な遺産を受け継ぎ,日本のより豊かな国際関係を学び

たいと願っている。(図書館長・史学科教授)