図書館の思い出一一建物に魅せられ花に魅せられ

小川信子

 1947年に日本女子大学に入学した私は,大学図書館の存在はほとんど印象になかった。

 当時利用した図書館は上野公園の一隅にあり,明治30年4月に帝国図書館制が発布されて建設されたもので建物は

風格があり神秘的な雰囲気であった。いまひとつは,赤坂離宮図書館であった。終戦後1948年に米国図書館使節の

勧告によって,広範な機能をもった国立国会図書館が開設され,とりあえず旧赤坂離宮が使用された。しばしば利用

したが,図書に親しむより,美しい建物に魅了されたとも云えよう。同年国立国会図書館建設委員会法により,新館

の建設が決まり,設計者は,設計競技により基本設計は前川国男建築事務所の田中誠他が選ばれ現在の建物が実現した。

 学制改革により,新制大学は,大学図書館の整備拡充を要求され,本学では,l964年に現在の図書館が竣工した。

それは,当時の学長上代タノ先生が,開架式図書館を提案された。英文学科教授の大原恭子先生,住居学科の武田満す

先生が建設委員として意見を交換し計画案を検討されていた様子を記憶している。

 図書館は小規模ながら,多様な機能を,正方形プランにコンパクトにおさめ,特徴は,学生が自分の部屋で学習して

いる様な雰囲気を創り出し,書棚から本を自由に取り出して読める様に計画したことである。したがって机や椅子も,

学校用家具としての既製品でなく,前川事務所の長大作が設計した木のフレームで布製座の温かいデザインであった。

その内部は,新鮮で親しめる空間であったので当初はしばしば利用していた。開架式の為,本の紛失など問題があり

教授会で話題になったが,それを上回る学習効果を上代学長は期待していらっしゃったので,方針を変更されず今日に

いたっている。

 明治時代の木造の美しい校舎がこわされて,学生時代に親しんだ空間が失われた時は一抹の淋しさはあったが,図書

館の上階からゆりの木の花を,目の高さに見た時のノーブルな美しさに感激したことは,今でも忘れられない。

(住居学科教授)