上代文学関係写本複製の展示に寄せて(阿蘇瑞枝)


後期が始まって間もない9月27日から,図書館2階玄関ホールで,上代文学関係写本の複製の

展示が行なわれました。万葉集・古事記・日本書紀の写本類で,すべて合せても十一種類とい

うささやかなものでしたが,上質の和紙に流麗な筆で書かれた万葉集の写本の美しさがお目に

とまったことと思います。これらの文献は,仕事上,文字の確認など,必要に迫られて見るこ

とも多いのですが,展示用のケースに収められてページが開かれていると,ふだんよりも見栄え

がして,教室の行き帰りに惹かれるように,幾度となく立ち寄ってみました。この後,中古,中世,

近世と時代を追って順次,魅力的で貴重な文献が展示される予定ですが,上代の文献を展示させ

ていただいた機会に,万葉集の写本のことなど,少し書かせていただきます。万葉集の写本は,

能書家の手によるものが多いのですが,美術品的な受け入れ方もされたようで,今は伝わりませんが,

小野道風が書いた万葉集が,円融院から一条院へ贈られたとの記録や,藤原行成が,故民部卿の在世

当時に贈られた継色紙に万葉集を清書したとの記録などがあります。道風・行成は共に平安中期の

能書家として高名です。また,今回は展示できませんでしたが,現存最古の万葉集の写本,桂本は,

紫・白・薄赤・藍・黄など八色に染め分けた色紙を継ぎ合せた上に金銀泥で花鳥などを描き,それに

万葉集巻四の歌を書写したもので,実に華麗な巻子本です。筆者は,紀貰之,源順,藤原行成など,

いろいろな説がありますが,平安中期の能書家源兼行説が有力です。料紙裏継ぎ目の花押から鎌倉

時代には伏見天皇のご愛蔵であったようですが,どのような経路でか,江戸時代には前田利家の室

松子所持となり,その孫女の嫁ぎ先の桂家に贈られました。今は皇室の所蔵となっています。巻四

の歌も完全ではなく,巻初め部分が欠落していますが,伝えられるところによれぱ,柱宮家に献上

される前に,関白豊臣秀次が所望して端と奥書とを切り取ったということです。美麗な万葉集の写

本が、和歌に対する関心はさほどない者にとっても,美術品として憧れの対象になった事実を示す

伝えです。歌を作ることもそれを書き記す文字を習うことも女性の教養のひとつとして重視されまし

たから,高貴な女性への贈り物として万葉集が書写されることも珍しくなかったようです。藤原道長

がその娘で一条天皇の皇后になった彰子に贈るために,能書家の一人藤原家経に万葉集を書写させた

という記録もあります。平安末期成立の歌学書『袋草紙』には,昔は稀であった万葉集も,道長の家

に伝えられた「法成寺宝蔵本万葉集」を,俊綱朝臣が借り出して書写して以来,多数流布して,今では,

諸家にあるようになったと記しています。4500余首にのぼる万葉集の歌々を労をいとわず書き写して

多数後世に伝えてくれた先人たちに感謝したいと思います。 長い時代にわたって,このように大勢の

人々の手によって書写されていますので,現代でも,貴重な写本の一部もしくは全巻が発見されること

があります。先年大々的に報じられて大きな話題となった広瀬本万葉集(広瀬捨三氏所蔵)の出現は,

今なお記憶に新しいところですが,15年ほど前にも,12世紀前半に書写された天治本の一部が香川県

香川郡香南町の冠櫻神社で発見され,ニュースになりました。天治本は今回の展示にも出ましたが,こ

れまで巻十三の全歌と巻二・十・十四・十五の歌の中の83首が伝わるのみでありましたのに,この発見

で,新たに巻十五の58首が加わりました。新たに発見された天冶本58首は,重要文化財に指定され,

複製もされました。一方の広瀬本万葉集は,藤原定家秘蔵本の系統に属するというので特に話題をよん

だのですが,その影印版が,一昨年校本万葉集の別冊として三分冊の形で刊行されています。 古事記

・日本書紀の写本について書くスペースはもうありませんが,真福寺本古事記・岩崎本日本書紀は,私

どもの学生時代に,貴重な写本として畏敬の念を以て熱っぽく語られたなつかしい本です。几帳面な文字

で書かれた本居宜長の自筆稿本古事記伝と共に特に印象深く拝見しました。 (日本文学科教授)