一次資料の重み (杉本敏夫)


 図書館を評価する規準は,いろいろあってもよいと思う。それが大学の図書館であれぱ,研究と

 教育のための図書が充実しているか否かが重要な決め手になることは言うまでもない。

しかしそれだけでは何か寂しいような気がする。私が俗に「お宝」とよぶ自慢の古い初版本とか

原稿などを,大切に保管しているのを夢見る。国内のある図書館は,それ一冊しかない古写本を

多数所蔵し,研究者にのみ閲覧させると聞いた。長年にわたる古書店主の「目利き」がそれを支

えたと言われる。

 テレビで見たおぼろげな記憶では,所蔵庫の棚に袱紗に包まれて桐箱に入っていた。私が紀要に

連載している19世紀の数学者ガウスの発見の心理については,全集が大いに役立った。

 リプリント版がかなり手頃な(とは言っても個人には高価な)値段で買えるようになったからで

ある。しかしリプリントは初版によったため,第2巻の末尾の再版による補充が欠けている。

 ところで私が素朴な疑問をもったのは,高木貞治『近世数学史談』の共立全書1970年版47頁の

 (a)5522≡950,6672≡152,mod.152827 11042≡3800,33352≡3800

という記述である。ガウスともあろう計算の名人が誤るはずがない! だが2つの数字は誤りで,

 (b)5522≡950,6772≡152,mod.152827 11042≡3800,33852≡3800

と正せる。ガウス全集も(b)のようになっている。共立全書版の誤植であったことはこれで分か

る。しかしまだ違う。じつは合同記号≡のあとに4カ所ともマイナス符号をつけた

 (c)5522≡-950,6772≡-152,mod.152827 11042≡-3800,33852≡-3800 

が正しいのである。最近の岩波文庫版56-57頁では,符号は(c)のように訂正されたが,数字は

 (a)に戻ってしまった。げに恐ろしきは誤植。いったいガウス自身はどう書いたのであろうか? 

 もちろんこの確認のためだけではないが,12年前,数学史の大家に紹介状をいただき,のこのこ

ゲッティンゲンの図書館まで出掛けた。ここにはドイツの著名な学者の手稿(manuscript)が多

数保菅されている。一般閲覧室を抜けた奥に手稿分室があり,分室長H氏が温かく迎えてくれ,

「何でも見たい紙片を言え,必要なら複写もしてあげる」とてきぱきと応対してくれた。しかし

 目指す紙片がどう分類されているのか迷った。ようやく見当をつけてGauss‐Ms.Math‐25を

請求したら,無造作に封筒に納められた何十枚かの紙片を渡された。なかから「A=eの計算」

の紙片が出てきたときには感激した(岩波文庫版56頁参照)。薄青の厚めの紙にみずから黒い枠を

引き,細かく綺麗な字でびっしり書いてある。インクは黒で,かすれたところは褐色に変わってい

る。ガウスは200年も昔,密かに新関数の性質を数値計算によって確かめようとしたのだ。彼は「僅

カナレドモ熟セルモノ」しか公表しない主義を貰いて,この新関数については沈黙した。しかし行李

に紙片が仕舞われたまま残され,後世の目にすべてが晒されることになった。全集にもこれらの紙片

の内容は活字で組んで収録されている(すべての紙片が収録されたわけではない)。全集に収録され

るとき,種々の誤りが紛れこむことは止むを得ない。
 
 (l)本人自身の誤り,(2)編集者の読み誤りまたは(3)解釈による改変,(4)印刷時の誤植。

 ガウス全集の場合,没後すぐシェリングによる編集がなされ,さらに今世紀初頭クラインとシュレジ

ンガーによる補充編集が行なわれた。シェリングのはかなり(3)編集者としての意図的な改変が多く

て,シュレジンガーが文句をつけた。

 ところで上の数式の場合は,ガウス自身が(b)のようにマイナス符号を落としたまま書いた。この場

合のシェリングは手稿に忠実であったのだ。ガウスは誰にも見られる恐れのない私的なメモでは,さほど

神経質でなく,このような誤りは手稿の至る所に見られる。本人が実際にどう書いたかは,手稿に当たっ

たとき確かめられる。サンマが目黒なら文献は一次資料に限る。 (心理学科教授)