空間としての図書館〜世界の図書館散歩<6>〜 (今井秀明 )


 資料の増大と共に巨大化する図書館は単なる資料や情報の倉庫と化す。そしてそれらの多くはその

サービスが貸出業務に偏り、「機能」という名のもとに閲覧室等、諸室が単調に配置されるだけの

建物がつくられるだけである。
 
 ローマ時代の建築家ヴィトルヴィウスは建物を「用・美・強」という言葉で表した。それは、機能

的であり、使い易く、美しいプロポーションを持ってつくられる建物とその空間、そして自然に対し

て強くあるということが兼ね備えられるべきであるということである。

 20世紀に入ってその「機能的」という中に美しさを見つけだす動きが現れ、建物はそれぞれの個性

を消していった。そこでつくられた単調な空間はこの数年、個性の主張が中心になって新しい空間

がつくられるようになり、そこを利用する人々に豊かさを与えてくれることになった。そこでつく

られた個性とは決して突出するようなものではなく、その建物に固有の「らしさ」をつくり出すも

のであった。

 やがてその「らしさ」は、人問回帰、環境への調和、また共生していくことなどが重要なことになり、

建築が、またその内部空間がつくられてゆく。そのつくられる建物は人間の居場所が単なる行為のために

だけつくられていくことではなく、むしろそこには居心地、心落ち着く場として、本来の本を読む場所を

中心に据えていくことが図書館として、またその建物自体として重要な要素と考えられるようになってきた。

 それは近代建築に表わされた「光・緑」の考えが取り入れられて利用する人間と共生する設計がなされ、

人間と環境主体の空間がつくりあげられる。

 その様な試みは関西文化学術研究都市の中心に建設される国立国会図書館の関西館建物に現れる。

 国際競技設計の中から選ぱれた案は、電子図書館としてデータベースにおさめられた本をコンピュ

ータのネットワークを介していろいろな所で好きな本が読めるように考えられている。

 実体を持たない惰報通信と巨大な書庫等機能性のみに重きが置かれるべき建物が、図書館が持っている

特徴ある形態を飛び越して「周辺環境との連続性」を意識した透明性の強いシルエットを持ったものにな

っている。そこに光と環境を取り込み、それらに囲まれて読書・閲覧室等が配置されていて、ここに人間と

環境の共生を中心とした空間が広がっている。

 この自然と一体となった各諸室は利用する人々が本を中心として、物事を考える原風景が展開される。

 そこに創り出される空間は、まだ時がゆったりと流れる時代に建った図書館にその原点を見ることができる。

 それは読むといった行為よりも一人の人間の人生等、精神に関わる大事な空問であった、

 時代を超えて人々が大人に成長していく少し前の精神的に不安定な時期に、将来への期待と不安、人生に

ついて、あらゆる事に悩み深く思考する。そういった青春期に悠々とした時間と深く静かな想いをめぐらせ、

多くの人生への示唆を与える書物。それらにつつまれ豊かな空間をもつ図吉館は、人々がその中に身を浸す事

でその不安定な精神の拠り所になった。それは大海原に漕ぎ出す小さな船に与えられる羅針盤のようである。 

 
 <京都府立第一中学校図書館>

 京都の北東に位置する洛北の地、そこにある下鴨神社を横に見ながら北に歩くと右手に府立洛北高等学校が

見えてくる。この学校は旧制京都府立京都第一中学校として、湯川秀樹氏や、朝永振一郎氏をはじめ数多くの

秀才を世に排出した前身をもっている。正面を入ると一瞬時問が戻ったようなゴシック風の堂々としたこの学

校の正面玄関をもつ校舎が建ち並ぶ。その左手に記念樹の繁るフロントヤードを持つ小さなこの図書館は建っ

ている。この正面に立つとこのキャンパスの設計の基になっている「ゴシックを加味した近世式」のデザイン

と左右・上部に古代ペルシャを思わせるような壁面レリーフの装飾が施され、またそれらに挟まれるように一

階に入口、その上部に半円のステンドグラスのアーチ窓でつくられた、特徴ある外観をもって、統一的なキャ

ンパスをつくると同時に図書館らしい建物になっている。

 この外観は、キャンパスに入る者や、この建物を利用するものに、書物の持つ知識の集積とそれから造られる

人問の英知と思考を感じさせる。同時に理想に燃える時期の若人に、より情熱を燃やさせたであろう。

 当時この正面入口を入ると、レファレンスコーナー(検索)、その奥が6人掛のどっしりとしたテーブルが置

かれた閲覧・読書室があり、その脇に雑誌等が数多く置かれていた。三方向にある連続する小さな窓からの明か

りは、暗いというよりはむしろ重厚で落ち着いた読書室をつくった。レファレンスで希望の本を見つけると、

その脇の階段を上り2階の受付に行くことになる。大きなどっしりとした受付テーブルと、その背後に、正面に

特徴を持たせるアーチ状のステンドグラスの入った窓がある。

 やや薄暗い階段室からこの場所に達すると、このステンドグラスを通してめいっぱい入る光は、明るさの中に

この空間を豊かにする良き時問と空問をつくった。

 この受付の前に書架が並び約3万冊の蔵苦があり、ここにあった蔵書は、先輩や先生方の寄贈本、教師の興味で

購入した本などがかなりの量を占め、当時の中学佼としては、明治・大止・昭和に出版された本、全集や哲学・

美学書などのかなり難しい本があった。その一方で牛徒から希望図書を募り、月1回教師と各クラスから選出さ

れた図書委員の話し合いで、その中から選ぶという民主的な方法をとって本を購入していた。

 これはこの学校が生徒の人格を認め、常に対等の立場でつきあうといった気風があった。

 また、本の配置とか席の配置等についても月1回、委員と教師の話し合いの中で決められた。生徒の自主運営を

中心とした図書館は自立性の強い知識の集積としての空間がつくりあげられていった。

 この空間に囲まれた中で、感受性が強く好奇心の旺盛な若人は、これから歩み出す目標を探す旅人になる。

彼らのなかには、図書整理の時などに書架の中を駆けめぐり、興味ある内容の本を、窓に光を求めてそのそぱで

読書の時を持った。そこで過ごす時間、建物内に入り込むゆったりとした光、窓から見える木々やキャンパスな

どの風景、部屋のスケールそれらの全ては、使う側と使われる側が、単なる情報を媒介とした関係を超えた空間が

自然に生み出されている。その関係は、すぺてが主体となり、今、我々が求める人と本、人と環境の共生につなが

るものである。

 ここに規模や機能などに関係なく、本来図書館の持っている原風景がある。 (建築家・日本大学講師)