成瀬仁蔵先生と図書館 (中嶌 邦 )


 目白キャンパスの正門のわきに,本学の創立者成瀬仁蔵先生を記念して建てられた,記念館がある。

その二階の左側の一室には先生の蔵書が書架に収められ,本学図書館の作成した『成瀬文庫目録』も

おいてある。

 その蔵書はおよそ和書500冊,洋書1900冊で,現在では得難い書籍も含まれている。当時,洋書

の輸入で有名であった丸善で,個人としては最大のお得意様であったとのエピソードもある。 これ

らの書籍は,現在も校庭北西の角にある成瀬先生の旧宅(現在・成瀬記念館分館)におかれていたも

のである。

 建物それ自体も,明治期の住宅の遺構として貴重なものであるが,その2階にあがると,これらの書

籍が並べられていた書架やつくりつけの本棚が残っている。 蔵書が増加してはり出して増築された板

ばりの書庫には,天窓がついていて,本をとり出す際のあかりとりになっている。 南側の廊下のすみ

には,立ったまま本をよむためのつくりつけの折り畳み式の書見台があり,読書の工夫の片りんをみる

ことが出来る。 

 先生の描く図書館像は三つに分かれ,その第一が上記のような個人蔵書である。

 欧米に比し日本の家庭に書籍が少ないことを嘆き,2〜300冊の本があってもよいのではないかと述

べている。

 第二は学校の図書館である。教育の場における図書館として,欧米の大学や学校の例をしぱしばひいて,

その充実を望んでいる。本校にも立派な図書館が欲しいが,財政が許さないと嘆いておられたと卒業生か

ら聞いたことがある。 

 教育の全般にわたって論じた『新時代の教育』(大正3年刊)の中で,教員や学生の教育活動を助ける

施設として学佼図書館を必須のものとしてあげ,その要件を7点あげている。

 「第一,学生の自学自習を助くるに必要なる図書を備ふる事,第二,教師の参考に必要なる図書を備ふ

る事,第三,其の他,学校の教育計画経営上必要なる参考書を備ふる事,第四,一般文明の状態を知るに

足る図書を備ふる事,第五,図書を精選し,総て教育的価値あるものを備ふる事,第六,観覧に便にして,

なるべく繁雑なる手数を要せず,無用の時間を費さざらしむる事,第七,整頓に便なる事等なるべし」という。

  書籍の内容についてぱかりでなく,利用について言及していることに注目したい。

 さらに「学生の読書の興味を誘起する注意も必要なるべく,其の取扱方等の上に於て,学生の心情に好感を

与ふる注意も必要なりとす」とも述ベ,学生の知識を補うぱかりでなく学習の興味をひき出し,自学自習の

勉学に満足を与える教育環境をととのえることを主張している。

  第三のそれは,大学拡張論の中で論じられる社会に開かれた図書館である。本学創立後約10年程たち,

学内がほぼ安定した頃から,大学外への社会活動を論じ,その一つに図書館が登場する。 

 本学の図書館を公開することを含めて,各地に図書館が出来ること,あるいは巡回図書館運動を進め,

多くの人々に読書を通じて知識・思想・芸術・情操などを豊かにする機会を与えることを主張した。
 
 この地域図害館・巡回図書館の活動は,具体的には卒業生の組織である桜楓会の活動の一部として,

例えぱ桜楓会支部のあるところにミニ図書館をつくるといった構想が述ベられている(一例に京都支部に言及)。

  こうした図書館は女子高等教育機関が殆どない現状に即して学校だけでは多くの女性達の向上に限界があり,

それを補うためにも設置が求められた。

 すなわち「婦人図書館」が各地につくられ,女性の知的向上の意欲に対応したい,それと同時に女性に向けて

講演・講義・実習などが行われ,地域の女性たちを刺激し,大学拡張すなわち高等教育をひろく一般に普及させる

運動となるという構想である。

 第二次世界大戦後,各地に女性施設が誕生し,1975年の国際婦人年を期して,国立婦人教育会館も設立されて,

女性の活動に役立っているが,これらの施設には大てい図書室が附置されている。

 成瀬先生の着眼は時代をはるかに先取りしているといえる。
 
 成瀬仁蔵先生が図書館の必要性を主張したことは,ここに止るものではない。それを女性自身がどう生かすかを

重視した。

 そこに意欲がなけれぱ施設はあっても意味がない。先生の教育観には自学自習・自学自動により,

各自が各自の方法で自らの生涯を充実させ変化させ,自己の人格を高め,社会的に活動することへの期待が

こめられているからである。(成瀬記念館主事・史学科教授)