星瑠璃子ほか著『桜楓の百人一日本女子大物語一』 (大竹洋子 )
昨秋,舵社から出版された『桜楓の百人』は,日本女子大に学んだl00人を4人のOGがインタビューしてまとめたもの
である。執筆者は星瑠璃子、山崎れいみ、志賀かう子、吉廣紀代子氏。
ジャーナリスト,エッセイストとして活躍するメンバーによって書かれたこの本は出版いらい大きな反響を呼び,朝日
,
毎日,日経新聞などでも取り上げられた。
女性たちの半生を語って戦後の女性史を辿ろうというこのユニークな企画は,はじめスボーツニッポン新聞紙上に登場し,
世間をアッといわせたのだった。
「スポーツ紙が?」という驚きやとまどいは,大学側やインタビューを受ける人にもあったらしい。
一般紙のなかにあってさえきわめて大胆,かつ正攻法で堂々と行くこんな企画が,スポーツ記事や芸能ゴシップでその
大半が埋められる新聞に登場することは,確かに人々を驚かせるにたる「事件」だったのである。
だが,その心配はすぐに杞憂とわかった。岩波ホール総支配人・高野悦子さんから始まり,彫刻家・宮脇愛子さん,
劇作家・真山美保さん,国文学者・青木生子さんと続く連載は,美しい写真とあいまって他の紙面を圧倒した。
私は息をのむ思いで読みふけった。毎朝,新聞がくるのが待ち遠しかった。こんなにも多彩,かつ,スゴイ人材を生んだ
女子大が他にあっただろうか。わが母校でなかったらどんな大学がこの企画にたえられただろうかと感じたのは決して
身びいきばかりではなかったろう。
新聞の,ほとんど2分の1頁の大スペースである。100人中70人を執筆した星瑠璃子さんは,後に朝日新聞のインタビューに
答えて「取材中に卒倒したことも」と語っているけれど,執筆者たち,援助を惜しまなかったスポニチの関係者に心からな
る感謝を伝えたいのである。
連載終了後さらに1年を費やして加筆,編集をしなおして刊行されたのが単行本『桜楓の百人』である。
今度は執筆者別に分類され,それぞれが年齢順に並べ変えられた。 98歳の婦団連会長・櫛田ふきさんから,1969年
生まれの女性狂言師・和泉淳子さんまで,その間には70年の歳月がある。
女にまだ選挙権もなかったような時代に,逆風のなかで営々として地歩を築いていった先輩たち。
女性キャリヤの最古参・谷野せつさん,戦後いち早く「女人短歌」を創刊した歌人・長沢美津さん,女性初の公取委・
有賀美智子さん,「婦人公論」編集長・三枝佐枝子さん,卒業は始業と改めて私たちに示した桜楓会理事長・竹中はる子
さん,日本女子大学学長・宮本美沙子さん,ジャーナリスト・増田れい子さん,建築家・林雅子さん, 作家・平岩弓枝
さん,シナリオラィター・大石静さん,漫画家・高橋留美子さん…。
ひとりひとりの生きざまは,時代の流れのなかでさらにいっそう輝きを増して,読む者の感動を一段と深いものにしている。
その感動とは何か。百人の女性たちの物語は百様であり,共通するものを定義するのはむずかしいが,ひとつだけ言える
のは「女を生きた」ということではあるまいか。
ある人は女であることにとことんこだわり,ある人は女を意識したことなど一度もないと言い切った。 しかし,
いずれの場合も,女であることに真正面から取り組んで生き抜いている,と私は思う。
一人の人問が生きた軌跡は,男なら「男を生きた」などといわなくてもよいことを,女は,その問いを発せずには生きられ
なかった。
時代は変わり,例えぱ男女雇用機会均等法が実施されてもう10年になる。しかし男女は本当に平等になったといえるのか。
もうひとつ。わが三大綱領「自発創生」「信念徹底」「共同奉仕」が,全ての人の心にいまも深く生きつづけているという
こと。
寄せては返す波のように,人々はいつもそこへ帰っていった。 創立者の建学精神が,こんなにもいきいきと息づいている
なんて。これは正直,驚きに近い感動であった。伝統とはこういうものか。
日本女子大にこれから学ぶ人,学んだ人,関係者,全ての人に読んでいただきたいと願う。
(国際女性映画週間事務局長・新制8回国文学科卒) 『桜楓の百人一日本女子大物語一』
図書館所蔵(目白・西生田)請求記号281.09−Ofu